その日は、雨が降っていた。 ザァザァと、少し小賢しい妖なら気配を消せてしまうほど、割と激しく、長い雨だった。 妖力を力任せに開放し、制御出来なくなった死樹の右目を贄に命だけを繋ぎ止めて、一体あの日からどれだけ経ったのだろう。 少なくともまだ死樹はそのことを怒っているし、完全に回復した状態でもない。 下手したら右目ごと刳り貫こうとするので、わざわざ彼岸は人里にこうして買い物に出掛け、新たなる術でまたそういうことをしないように封じてやらなければならない。 本当に、困った主人だと思う。少なくとも前までは、とても優秀な任務を全うする神に等しい存在だったのだが。 そして。そんな様々なことに現を抜かした結果がこれだ。 そんな優秀な人材にも制御できなかった力を無理矢理ねじ伏せ、取り敢えず本人がどうにかしないように右目を保護して、しかも住処として使っている洞窟から、一人になった彼がいなくならないように結界を張って。 はっきり言ってしまえば、疲れていたんだと思う。 それに追い打ちを掛けるようにこの天気だ。 普段は勿論こんなことはないのだが、人里から丁度死樹の待つ洞窟の近くへやってきたところで、ようやく彼岸は自分をつけてきている二つの気配を察知した。 どうやら本当にずっと尾行されていたらしい。 死樹と同じ、白銀の――それでも毛先に若干の黒味を帯びた髪を、さらりと揺らして振り返る。 それでも嗚呼今日自分は、一体どっちの瞳の色をしているのだろうだなんて考えてしまうのだから、相当参っているのだと思う。 『もう出てきて構わないよ』 誰ともなく凛とした声色でそう告げると、思ったより呆気なく近くの草木ががさがさと揺れ、齢十二ほどの小さな二人の少女が姿を現した。 どんよりといた空の下、それを弾くように輝く蛍光色に近い淡い桃色と空色は病的な美しさを孕んでいる。 其々の清々しいほど赤い瞳と青い瞳は、自分にそっくりだとぼんやり思った。 見つかった、と笑う二人は、甲高い音でクスクスと間延びした言葉を綴る。 『わァ、鬼さまだァ』 『ねェ、その顔の変な印、鬼さまでしょう?』 『初めて見たなァ』 『鬼さまッて珍しいでしょう?』 『嬉しいなァ、逢えてうれしい!』 『るりのことォ、気付かなかったでしょう?』 『しんくのこともォ、わからなかったでしょう?』 二人が楽しそうにぐるぐると走り回れば、水溜まりがぱしゃりと水滴を飛ばす。 外見や仕草、色以外が恐ろしいくらい、そっくりな少女達だ。 『なんだこれ』 あまりにも楽しそうに話すものなのでどうしようかと迷っていれば、いつの間にかゆらりと赤い番傘をさした死樹までやってくる。 番傘は、以前彼岸が人里へ降りたとき店の婦人に濡れるだろうと貰ったものだった。 幸い彼はもう右目を弄ってはいないようだが、こうして出てこれたということはやはりしっかり結界が張れていなかったということだ。 てっきりひやかされるかとも思ったが、まだ怒ってる死樹はそんなことに使う余力もないらしい。 ただ、やはり疲れてるんじゃないのかとぼやかれたのには返す言葉もなく顔を逸らした。 『あれェ?白いお兄さま、だァれ?』 『鬼じゃない、』 『人間でもない、』 『見たことない妖』 『鬼さまもだけど、すっごく強い』 『…、よく喋るねぇ』 そう言って押し付けられた傘を、黙って受け取る。 そしてそのままざっと音を立て濡れた地を進んで行く死樹を慌てて追いかけた。 足が止まったのは、二人の少女を丁度下斜め十五度程を見下げることで視線が交わるようなところでであった。 彼岸は、後ろで黙って死樹が濡れないように傘をさすしかない。 見上げてくる二人の視線と見下げる彼の隻眼が交錯する。 『…赤紙と、青紙』 『『お兄さまは、なァに?』』 『好奇心があるのは、いいことだ。なぁ彼岸、』 『…まぁね』 『こいつらの目、お前にそっくりだよ』 そう言って振り返った唯一の黒曜石のような瞳と、久々に目がきちんと合った。 嗚呼また――きっとよくないことを企んでる、 亡国から来た傭兵 |