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ひどい気分だ、と彼岸は着物の襟をきちんと正しながら、やはり困ったように――それでも確実に愉快そうに口角を釣り上げる死樹を睨んだ。
その横には明らかに不満丸出しの形相を浮かべる、一ヶ月ほど前遊郭から連れてきた妖の弟の方がいて、そしてふらふらと立ち上がる彼岸の向こうには満足そうに白く細い、自らの指に舌を這わす姉の方がいて。
元は静かだった、住処として利用していた洞窟は最早獣の園かと疑ってしまうほど酷い有様だ。
遊郭から連れ帰ってきた彼女らは“蜘蛛”の妖で、封じられていたこともあり強い妖力があることは確かなのだが、些かその力に拭えない下品さを感じる。
特に姉の方は妖力の源関係もあり、手当り次第、とまではいかなくても隙あらば男に手を出そうとするのだ。
しかしだからって姉が男を掠めれば、今度は弟がこうして不満そうに私怨を溜める。

――面倒くさい。

『…僕、別にこういうの好きじゃないんだけど』
『知ってる』
『じゃあなんでこんな――』
『面白いから。あと弟だけじゃいざというとき困りそうだし、強そうなお前を』
『…死樹が自分でやれば?』
『減るもんじゃないんだからいいだろう?』

こちらの文句を告げても、それを知ったうえでこうしろと告げてくる死樹はより楽しげに笑うだけだ。
妖力なら充分死樹の方が強い。おまけに彼岸はこういう色事が好きではない。
全部ひっくるめれば、彼岸より死樹の方が適当な役だとすぐ悟れたことだろう。
しかし彼が告げた通り、彼岸が任命されたのにはもう一つ前者の理由が含まれている。
こればかりは彼の感性なので、彼岸がどうこういったところで変わらない。

今日は雨は降っていないはずなのに、昨日の名残か洞窟にはたまに雨土の薫りがほんのりとする。
入り口から三手に分かれる洞窟は、最初は広かったはずなのにもう空きさえない。
一番右にこの姉弟を、そして左に死樹と彼岸。真紅達は勝手に出掛けて適度に顔を出しては彼岸や死樹の隣でぱたぱたと居座るのでいいとして、中央が問題だ。
もうすぐ暗くなる。そうしたらまた、暴れるのだろうか。

『怒るなよ、気分転換だろ』
『最悪だ』

睨んでくる弟を一瞥して、死樹の隣へ進めばそれまで呑気にこちらを見物していた彼がようやく重そうに腰を上げる。
すると緩んでいるか、ひらりと向きを変える動きに合わせて右目に巻かれた包帯が靡いた。
手招かれて進んで行けば、やはり連れていかれるのは先程の姉弟より先に連れ帰った猫の少女と、狼少年の元である。

『またお前らかよ、さっさとこのくそみたいな錠外せ』
『話せるようになったと思ったらこれか。またお嬢さんにも傷をつけて。乱暴だなぁ』

最初は言葉すら忘れていた彼だったが、今では随分回復した方だとは思う。
と言っても死樹は“殺す”専門なので、ほぼ治療を施したり猫の少女に方法を伝えたのは彼岸であるのだが。
あまりに暴れるものだから手足に錠をつけてやったものの、日増しに心配する少女の身体には傷が増えていく。
彼から離れたところで座っている姿を横目に見ると、更に痛々しい青痣が増えたように感じた。

『だいぶ復活したんだっけ?』
『口も達者だからね』
『じゃあ――気は乗らないけどそろそろ力づくで躾けようか、俺が』

――そしたらこれで六人だ、と。

お前と俺を合わせれば八人だよ――そう死樹は唄うように呟く。
まだ彼が何を考えているのか直接言葉を貰えたわけではないが、ここまでくるとある程度土台ぐらい察せないこともない。
その役割を与えられた時から、“鬼”は“死神”の為に生きると決まっている。
背く理由もないならば、ただこうして頷いていることが当然なのだ。勿論彼の右目を刳り貫いた、あの日のような例外だってないわけではない。
ただ、当たり前なのは死樹の言葉で、それに頷くのが彼岸の役目で。

『鈴音?だっけ、お嬢さん。この犬の名前なんだっけ?』
『侵、夜です』
『侵夜、か。うん、確かそんなだったな』

先日吐かせたのは死樹本人である癖に、そう鈴音に尋ねると、死樹は傷だらけの侵夜の頬に指を添わす。
その傷だってほとんど本人が暴れた際に負ったものか、もしくは死樹が残したものである。
実際行っていることは、手法が多少荒いだけで力を加えてまともな頃の記憶を思い出させているのに過ぎないのだが。
なんせ名目だけでも死を司る神様だ。

『大丈夫、俺がやりすぎても彼岸がいれば死なないから。な?』
『…っざけんなよ下衆野郎、』
『相変わらず素晴らしい威勢だ』

最初はやめて欲しいと叫んでいた鈴音も、もう何度目かとなる今宵はただ黙って俯いていた。
先程口にした八人、ということはまだ死樹は何か集めるつもりであろうか――彼岸が頭の中で思考を巡らせても、その問いを見事躱すような笑みを浮かべる彼が答えることもない。

そういえば、今日は新月だった気がする。
狼にはきっと、ひどく長く凄惨な夜になるだろう。

でも。どれもこれも、死樹がこうなっていくのも。
全部あの――***が悪いのだ――。






この手札にある死の意味は