01


ざぁざぁと降り注ぐ嵐の夜。
最低限雨風の凌げる、見知らぬ森の洞窟で、瞳を青く輝かせた彼岸はごほごほと激しく咳き込みながら、倒れるように座り込んだ男の肩を、あくまで痛みを与えない程度に軽く力を込めて掴んだ。
時々ぴかりと光る稲妻の合間に、ひゅうひゅうと肺をやられているのか空気の洩れる音が響き渡る。
息をしたいのに、それさえままならず代わりにごぽりと血液が口から溢れ出る。
あれだけ駄目だと言ったのに、彼は約束を守らず力を解放した。

兵器のような生ける魂を狩る力――故に普段は理に従い、制限されている。
私怨で無理に使ってはいけないと、古くから決まっていた。
皆が恐れる、魂を死へ導く力。死を臨んだモノへ、きちんと導を刻む力。
言い伝えのように畏れを司る不確かな存在。
決して無闇に人前に、姿を晒してはいけない妖。

『死樹…』

――どうしてこんなことしたんだ。

綺麗な透けるように月光を吸い込む白銀の髪は、誰のものか定かでもない血に濡れて。
黒曜石のような瞳の光は、あまりの苦しさに喘ぐことで失われ。
時々痙攣するように震える喉は、あまりにも痛々しい。

それほどまでに彼を憎んでいたのか。
それほどまでに、あんな物を愛していたのか。

これまで数えきれないほどの血を浴びたその指先が、口から零れる鉄の臭いのする液体を必死に抑えようとするが、それは叶わず指先からぽたぽたと、更にはもう一波訪れ、改めて周囲にびしゃり、嫌な音を立てて落下する。
彼の纏う深い緑色の着物だって、もともとの色が濃いおかげでわからないがきっと血塗れだ。
彼岸の黒い着物にもそれは同様で、雨故ではなくところどころ色が濃くなってしまっている。
これは二枚とも流石に洗わないといけないなと思うが、その前にこんなに血を吐き続けていればいくら妖でも死んでしまうのでまずこれを止めなければならない。
この力は、このまま使用した分の妖力を、彼の内側から貪ろうとしているのだろう。
このまま発作が治まるのを待っていたら確実に彼の身は持たない。
ならば強制的に、暴れる力を止めてやらなければ。

『ねぇ、このままじゃ死んでしまう。もう、封印しよう?』
『…!ッ、』

肩を掴んだまま、諭すように顔を寄せる。
ここで吐かれたら堪らないが、そこは彼を信じた。
彼岸の言葉に反応したらしい黒い瞳が、すぅっと軽く細められる。
そして残った理性が首を左右に振った。

『今の君の力は危険だ。絶対上手くやると約束しよう。来るべき時が訪れたら、解くようにする。絶対だ』
『…、…!』

カッと輝く空に続いて、轟く雷鳴。
何か言おうと震えたその唇を、無理に肯定と組んでその右目へと手を伸ばす。
妖力を封印するなんて勿論やったことがない。
だがその名があるのだから、きっと出来ないことはないのだ。
否、“出来ない”で終わってしまったら困る。

『…ひ、がっ、』
『一瞬だから、我慢して』

顔を一定の距離まで離して、やめてくれ、とほぼ吐息の状態で紡がれた言葉へ知らぬ顔を貫く。
いくら彼の頼みでもやめられない。やめたらここで、彼は死ぬのだから。
これまで沢山の我儘を見逃してきたのだから、こちらが一つくらい我儘を言ったって罰は当たらないはずだ。
あんな男とあんな物のせいで、彼が死んでいいわけがない。

左手を濡れる頬へ添え、右手で黒く塗られた爪の、人差し指と中指を構えた。
黒い双眸からは、誰宛なのかも定かではない涙がつぅっと零れ落ちる。
ひゅうひゅうと、音がする。雷が、どこか遠くに落ちた気がした。
この片目が失われてしまうのは残念だが、仕方がない。
右目の前で十字を切って、式が完成したことを確認してからそこへ刺すように二本の指先を突き立てた。

――もっと、深く。

『ぁ、あッ…う!?』

式を隔てて貫く勢いで指は、黒い瞳の中へ第二関節が過ぎた辺りまで呑み込まれてく。
このままもう一度、この状態を保って式を唱える。
そして中にある糸を指先に絡めて、このままいっきに引き抜けば成功だ。
呻く彼の口からは、今度こそとめどない血が沸き立つように溢れてくる。
腕に、着物に、どす黒い赤が広がってく。
それでも構わず、ぶつぶつと式を唱え続けた。

――あった、

唱え終えると同時、指先に触れたか細い糸を必死に引き抜く。
ぐちゅと生々しい音が聞こえて、同時に現れた銀色に輝く糸がきゅ、っとちょうちょの形を作った。

『嫌だッ、やめ…、っ、くれ…!』

泣き叫ぶように、彼が言う。
パラパラと銀色の光を織り成して消えていく糸は、自らの姿と共に彼の世界も奪ってくらしい。
見開かれた右の瞳から、涙を零す右の瞳から、光が失われてくのがはっきりとわかった。

嗚呼――死樹は自分を、憎むだろうか。






君がいてくれて、本当によかった